タクローとマリーとルサンチマン



ルサンチマン2巻読了。取り留めない思考がホヤホヤと沸いてきたので書き留めー。暴走気味。


漫画本編は相変わらず、現実と仮想現実のえげつないまでの落差。
タクローの友人である越後のアレ後の掃除のシーンとか泣けてきます。
現実ではダメだった人間が、仮想現実で「ホントウノジブン」なんてのを手に入れる。夢見る世界。
吐き気がするほど腐っているが、その腐臭はとても甘美な物に思えて仕方ない。ラフレシア


1巻の時にも書いたのですが、ヘタレだろーがキモかろーがリアルを超えるアンリアルの方が
当人にとって幸せなのならば、それはもう逆転させるべきだろーと。
そいういう幸せがあってもいいんじゃなかろうか、と。
むしろ
たとえ「虚」であっても「極限までオーダーメイドされた個人向けの幸せ」こそがこれからの世界には適してるのかなぁ、とか。
もうどっちが現実とか、イイワルイとかの世界じゃないんじゃないのかなぁ、とも。


タイトル通りルサンチマンだなぁ。気持ち悪い気持ちよさ。
ルサンチマンつーのは

ニーチェの用語。被支配者あるいは弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいること。
この心理のうえに成り立つのが愛とか同情といった奴隷道徳であるという。怨恨。(goo辞書より)

だそーで。


んでもって、弱者が強者に勝つための歪んだ思考法の事も、ニーチェルサンチマンと呼んでいた気がする。
「強者に対し弱者が《哀れみ》や《慈悲》で接する事で行われる価値の置き換え」とか
「弱者の土俵に相手を引きずり落として強制的に弱者側のルールでの闘いを展開し、弱者と強者の逆転を引き起こす。」
ちゅー感じだったかな。
価値をずらしちゃう事で「イイはワルイ、ワルイはイイ(・∀・)」みたいな逆転を起こすわけですよ。
アバウトすぎー。自分で言っててわかりづれー。


ニーチェの言うルサンチマンと違い、タクローたちには明確な「敵」がいない。
「モテル男が敵!」と考える事もあるでしょうが、それ以前に自分の醜さと弱さを十分すぎるほど認識してしまっている。
つまり自分たちの土俵に引きずり落としたいほど憎む相手がいない。
むしろ自分達をなんとかして強者に仕立て上げて這い上がりたいと願う。
そこでアンリアル。
アンリアルでは自己を価値付けする要素(容姿・金銭・権力など)は、あらかた捏造できるわけだ。素晴らしいぶらぼー。
自己価値のでっちあげで強者に仲間入りしようという彼らの思考は、一種のルサンチマンなんでしょな。








同じようにニーチェルサンチマンのギミックを使っていて面白いのが、
特撮の「SM作家」に出てくる「身代わりマリー」。

ご主人様、マリーはこの世界の身代わりで御座います。
ワタクシの不幸が、涙が、苦しみと死が、世界中の人々に幸福をもたらすので御座います。
そういう風に考えた時初めて人間の生命は意味を持ち、キラキラと輝き始めるので御座います。
ワタクシの苦しみが、貴方様の喜びに。だからマリーは不幸と涙を恐れはしない。


私は貴方の犬となり。私は貴方の神である。
私は貴方の犬になり。私は貴方の神になる。


Wanna be your dog wanna be your god



自己犠牲と自己陶酔と自己正当化。レゾンデートルのでっち上げ。


他者(世界)に対する「寛容」や「許容」によって、自己を押し上げるというギミック自体はニーチェルサンチマンそのものか。
ただ、タクローと同様にマリーにとっても明確な敵はいないのだと思う。
結果的に彼女は「貴方(ご主人様)」を引き降ろす事となっているが、
それは彼女からしたら割りとどうでもいい事なんじゃないだろうか。
彼女にとって重要なのは、犬となり神となる自分自身なのだから。


それじゃー、タクロー達とマリーの差ってなんじゃろ?
タクロー達には共感は出来ても感動はしなかったが、マリーのやり方には一種宗教的なカタルシスを感じる。
むしろ震えたといえる。


たぶんそれは、タクローたちのやり方が徹底した逃避でありその先の生産性とか有用性みたいのが
微塵も感じられないのに対して、マリーのやり方は徹底したら他者を救う結果をもたらす可能性がある
という点じゃないかな。と。


発端や目的がいかに歪んでいようと
表面に現れる他者への寛容と救済、つまり「全肯定」が徹底されれば、それは神となる。ニーチェが強者と認めた彼のように。
全ての不幸を請け負う弱者が、全ての幸福を与える強者に転換され、犬が神になるんですよ。
やっぱり震える。
これで震えてしまうぼくちゃんも相当アレですが。えぇ。


ところで、オーケンニーチェをキッチリ読んでるとは思えないのですが。
感性のみでこういうギミック考え出したのかすら?買いかぶり過ぎ?ぺろりと一読くらいはしてるかね?やっぱり。






余談として
マリーちゃんの性質が悪いのは彼女達の毒気に当てられると「犬だと思っていた対象が神になる」ちゅーことが局所的に実在しまして。
ご主人様と犬が逆転してしまう事は往々としてあるのだと。いやむしろ溢れ返っていたり。
飼い犬に手を噛まれる、とかいうレベルでなくて。
飼い犬に手を噛まれないと快楽を得られない、というご主人様の悲しみとか。そういう。