遣り残した宿題



むぅぅぅぅ。第弐斎藤さんとこの8月12日のログを読んで唸る。


どうしてこの方は、私がグダグダ文字数かけて捏ねくり回して書く内容を
分かりやすい言葉でサックリと表現でるきるのでしょーか…本当に感服。完敗。

大人になってから児童文学を読むのは、こういう後悔の連続なんじゃねえのかって思う。
つまり「自分はすでに『何か』でできているのだ」という確認作業だ。
それと「今の自分を作った『何か』とは何か?」っていう確認作業かな。
やり残した宿題を今更やる、みたいな。



このログは児童文学を大人になってから読んだ時の心の在りようを書いているのですが、
私の場合は、児童文学だけじゃなくてイイモノに触れた時に思う事の一つなのです。
「ぎゃわ!」っていう驚きがまずあって、その後「(これを今まで知らなくて)く、悔しい!」って感情が続く。
で、さらに
「あー、これは自分の中にあるAって事と表現は違っても、言ってる事や求めてる物はおんなじ要素だなぁ」とか
「ぉ?これは自分の中にないぞ」って感嘆するんですが、
やっぱりそれはどちらも「自分の構成物と境界線」を確認する作業だったりします。
後者の場合は、「無い」事を確認しているわけで、その後、その「無い物」を取り込めれば構成物の増加が起こったりするんですが
ある程度いい歳になると、「自分の中に無い物」ってのは「いままで見たけど拒絶した物」だったりして、
なかなか自分の構成物となり得なかったりします。


でもやっぱり「無い無い!欲しい欲しい!」ってのもたまにはあるもんで、
子供の頃に遣り残した宿題は、大人になって拡大した情報網と小金で一気に解決したいと思います。
日々是精進。